駒田信二@中美合作所2008/11/09 14:03

駒田信二@中美合作所
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 写真はかって、作家の駒田信二さんが共産党のスパイと間違われて拘束されていたという中美合作所です。坦々麺は重慶飯店のものですが、駒田さんが特に好んで食したというので、参考程度に載せておきます。

 <中美合作所では、1人の見張りの兵隊が私と起居をともにしていた。彼は昼間はどこかへ行ってしまうことが多かったが、夜になると私の部屋(という言い方はおかしい。私の軟禁されている部屋である)に来て、2段ベッドの下の段で寝た。上の段に私が寝るのである。「夜、便所へ行くときには必ずおれを起こせ」と彼はいった。だが彼は、私が夜中にベッドの縁をたたき、彼を起こして「便所へ行く」といっても、いつも「うーん、行け」というだけで、起きたことはなかった。
 食事は彼といっしょではなかった。私はその将校宿舎のダイニング・キッチンのようなところへ行って、将校やその家族といっしょに食事をするのである。その食事は望龍門とはくらべものにならない豪華なものだった。ダイニング・キッチンに行くとき私は彼に、「わるいな。囚人のおれがうまいものを食って」というと、彼は「いいさ」といい、そして「豚は肥らせて殺す」といった。
 その将校宿舎でも、どんな料理よりも私には、やはり坦々麺がうまかった。辛い麻婆豆腐もうまかった。「好吃」というと、将校夫人が、わたしには辛くてだめ、という身ぶりをして、「あなたは湖南人か」ときいた。湖南省の人も、四川の人に劣らず唐辛子を好むのである。・・・>
 <見張りの兵隊は将校にいわれて、私をときどき重慶の町へつれて行ってくれた。茶館でお茶を飲むと、彼は腕時計を指さして時間を示し、その時間にここで待っているといって、どこかへ行ってしまうのが常だった。私は町をぶらぶら歩き、小さな食堂をのぞいてみて、たいていは坦々麺を食べた。>
 <>内は「ほんものの坦々麺(駒田信二)」から抜粋

 

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