PraktinaⅡa後期型@東独最後のフラグシップ機 ― 2016/03/11 18:53
今回は終戦直後から50年代にかけて一眼レフ王国を築いた東独のPraktinaⅡa後期型です。トップ二枚目の写真を見ていただくと分かるようにオート絞り用のアクチュエーターが二本見えています。右側が半オート絞り用、左側がオート絞り用です。要するにオート絞りのレンズは0時の位置にとりつけます。半オート絞りのレンズは8時の位置にとりつけるというわけです。
プラクチナは三つの世代に分類できます。
①最初のものは1952年発表のものでファインダーの交換、モータードライブの装着が可能でその他色々なアクセサリー用意されており、システムカメラの元祖といわれています。ニコンやキャノンでも高級機は色々なアクセサリーをそろえたシステムカメラとなっています。レンズはまだプリセットです。
②第二世代は1953年に登場したプラクチナFXで半オート絞りの機構を実現しています。
③大三世代は1958プラ年発売のプラクチナⅡaでオート絞りを実現しています。
プラクチナの問題は半オート絞りとオート絞りでレンズとのインターフェースが異なることです。半オート絞りは押しピン式なのに対してオート絞りは最初にピンを押して解放にしておいて絞り込む時にはピンを引くので、半オートとは逆の動きをします。それで写真のようにアクチュエーターを二本持ったモデルが用意されたというわけです。このモデルは非常に数が少ないようで実際に売られているの見たのは本機のみです。
ところで最初にオート絞りを実現したのは1956年に発売されたプラクチカFX2の改良型です。プラクチカ(M42)マウントの場合は半オートもオートも押しピン式なので二つアクチュエーターを用意する必要はありません。ボディ側の仕掛けは同じでオート半オートに対応できるというわけです。
機械式一眼レフの必須機能はペンタプリズム正像式、オート絞り、クイックリターンミラーの三つですが最初の二つは東独が最初に実現しています。最後のクイックリターンについては日本の旭光学が完成させたというわけです。
初期のコンタックスS、第二世代のプラクチナと当時最先端の高級機を送り出してしてきた東独ですが60年代になると高級機から手を引いてしまいます。アマチュア向けのプラクチカだけではつまらないですよね。
撮影例、フィルムはフジの業務用ISO100です。レンズはパンカラー50㎜F2.0です。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。